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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)13058号 判決 1978年5月29日

原告

横山作二

外三名

右原告ら訴訟代理人

元田弥三郎

外四名

被告

国家公務員共済組合連合会

右代表者

岸本晋

右指定代理人

坂本隆重

被告

松下良司

外二名

右被告四名訴訟代理人

真鍋薫

主文

一  原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一被告連合会が東京都港区において虎の門病院を経営すること、被告医師らが昭和四三年当時右病院に勤務していたこと、原告作二が昭和四三年二月一七日発熱・喀痰・咳の治療のため虎の門病院に入院し、呼吸器科の診察を受けた結果、右病状は同原告が以前に肺結核治療のため他の病院において右胸腔に充填された合成樹脂球に起因するものと診断されたこと、同原告が同年三月一九日虎の門病院胸部科において被告医師らの担当により本件手術を受けたこと、本件手術の後、同原告が脊髄の循環障害に基づく本件麻痺を来たしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二原告らは原告作二の本件麻痺につき被告医師らの過失によるものであることを主張し、これに対し被告らは、本件手術との因果関係及び被告医師らの過失を否定するので、まず、本件の事実経過を検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、<証拠判断略>他に右認定に反する証拠はない。

1  原告作二は昭和四〇年九月二八日、虎の門病院呼吸器科において血痰の喀出につき治療を申出、訴外田村昌士医師により、また、翌昭和四一年五月三〇日からは訴外本間医師により、診察及び種々の検査を受けた結果、同年五月には慢性気管支炎、また、同年一〇月には気管支拡張症と診断され、同年一一月二八日まで診察及び内服薬の投与を受けた。その後昭和四二年三月一三日、同原告は右呼吸器科において血痰の喀出及び喘鳴につき診察を受け、同年七月三〇日まで診察及び内服薬の投与を受けた。

2  原告作二は昭和四二年一二月二四日ころ咳・喀痰・発熱の症状があり悪化したため、翌昭和四三年一月八日日大病院に入院して治療を受け同月二〇日退院したものの、右症状は完治せず、同月二九日自宅近所の鈴木病院に入院したが、やはり右症状は回復しなかつた。そこで、同原告の妻である原告横山ふみ子が同年二月一五日虎の門病院呼吸器科を訪れ、田村医師に右経過を告げて転院させたい旨申し出たため、同医師がその手続をとつた。

3  同月一七日原告作二は発熱・喀痰・咳の治療のため虎の門病院に入院し、呼吸器科の診察を受けた結果、右病状は同原告が以前に肺結核治療のため他の病院において右胸腔に充填された合成樹脂球に起因するものであり(以上の事実は当事者間に争いがない。)気管支瘻及び膿胸(胸腔に膿性滲出液が貯留する症状)の存することが診断された。そして、本間・田村・村勢ら各医師により投薬による治療が続けられたが、多量の喀痰及び激しい咳については著明な回復はみられず、食欲不振や睡眠障害も存するため、原告作二の全身状態もそのままでは悪化する懸念があつた。そこで同年三月七日、前記呼吸器科の医師と胸部外科の医師が患者の治療方針を検討するための会議である胸部疾患カンフアランスにおいて、原告作二につき検討した結果、内科的療法ではもはや前認症状を治療し得ないから、全身状態のなるべく良いうちに外科的療法を行なうしかないとの結論に達した。同月九日作二は前記病院胸部外科部長である被告松下医師の診察を受けた結果、合成樹脂球の摘出及び胸郭成形術(肋骨を切除して膿胸腔をつぶす手術)をなすことが必要であるとの判断がなされた。そして、右基本方針は本間医師によつて同原告に告げられ、同原告も右手術を受けることを承諾したので、同原告は同月一一日胸部外科へ転科した。

4  原告作二は胸部外科に転科した後、手術に備えて貧血を回復するため輸血を受け、また、訴外株式会社日本工建設計事務所の代表取締役としての職務を整理するなどした。四月一六日本件手術を同月一九日に行なうことが決定され、同月一八日痰の排除を容易にして気道を確保する等のため、被告医師らは原告作二に対し気管切開の手術を行なつた。そして、同原告は同月一九日被告医師らの担当により本件手術を受けた(この点は当事者間に争いがない。)。被告松下医師が術者(執刀者)で、被告鍵谷、同堀米及び訴外高安の各医師が助手であり、麻酔を担当したのは訴外宮田及び訴外王(後に大本と改姓)の各医師であつた。本件手術の前後の経過は次のとおりであつた。

午前九時三〇分、原告作二は病室で基礎麻酔を受けた後手術室に搬送された。

同一〇時三〇分、全身麻酔が開始された。

同一〇時五五分、本件手術が開始された。同原告の右背部から右側胸部にかけて切開され、右側の第二ないし第七肋骨が、胸椎横突起の先端と並ぶ断面ないしこれから0.5ないし1センチメートルほど脊髄に近い部分で切除された。但し、第三ないし第五肋骨の各一部は同原告が以前に他の病院で合成樹脂球充填術を受けた際に切除されていた。そして、膿胸腔から、二六個の合成樹脂球が摘出された。また、胸壁肋骨が厚さ二センチメートルの固いベンチ(結合組織)を形成していたため、前記肋骨切除のみでは胸郭萎縮の目的が達せられないので、右ベンチの一部が切除された。なお、脊髄に近い側の縦隔肋膜ベンチは切除されなかつた。次いで、二個所の気管支瘻部が縫合閉鎖されるなどして、皮膚が縫合され、同日午後四時二五分本件手術が終了した。なお、この間の出血量は合計四一三五グラムであり、これに対し輸血量は合計四六〇〇CCであつた。また、本件手術中の原告作二の血圧については、最高血圧は概ね一〇〇ミリメートル水銀以上であつた。ところが、本件手術終了後、原告作二の気管に多量の分泌物が貯留しはじめたため、呼吸が困難となり、血圧も午後六時五〇分ころから降下しはじめた。そこで、術後管理に当つていた前記王医師らは右分泌物の吸引、加圧呼吸等の措置を執り、その結果、呼吸も正常に復し、血圧も午後七時三〇分(最高血圧がおよそ六五)を境に上昇し、同四〇分には最高血圧が一一〇に回復した。

5  右手術終了後手術室で術後管理の後、同日午後一一時一〇分ころ原告作二は手術室から病室に搬送されたが、間もなく両下肢の倦怠感を訴えたため、被告松下医師が診察したところ、両下肢の知覚がなく運動麻痺を来たしていることが判明した。同日は休日であつたが、同被告は前記病院の整形外科部長である訴外御巫医師を呼んで、同原告の診察をさせた。また、翌二一日には前記病院の神経科の訴外宮崎医師が診察し、その後神経外科部長の訴外安芸基雄医師の診察がなされ、さらには、後藤文男(本訴における鑑定人)の鑑定がなされたが、これらの結果によると、原告作二は脊髄の循環障害に基づく体幹両下肢対麻痺を来たしたことが判明した(同原告が本件手術後本件麻痺を来たしたことは、当事者間に争いがない。)。そして、本件麻痺が今後回復する見込は存しない。

三そこで本件麻痺の原因について考える。

前段認定の経過からすると、本件手術がなされなかつたならば、本件麻痺もなかつたであろうことは容易に推測されるところであるから、その限りにおいて本件手術と本件麻痺の間に因果関係の存することは否定すべくもないが、本件麻痺の具体的な原因については必ずしも一義的に明らかであるとはいえない。

すなわち、<証拠>を総合すると、原告作二が本件麻痺を来した原因としては、(一) 前記二4のとおり本件手術においては四一三五グラムという大量の出血があつたから、四六〇〇CCという充分な量の輸血がなされても、原告作二の身体は循環不全ないし血液分布の不均衡を起こしやすい状態にあつたものであり、しかも、本件手術後の午後六時五〇分ころから血圧が降下し、同七時三〇分には最高血圧がおよそ六五にまで下がり、同四〇分に最高血圧が一一〇に回復するという経過があつたため、右血圧低下の際に脊髄が循環障害を来たしたこと、(二) 本件手術中に肋間動脈が損傷され又は結紮されたため、重要な脊髄根動脈の血流が阻害され、脊髄の循環障害を来したこと、(三) 本件手術の何等かの操作が刺激となつて交感神経が緊張したため、重要な脊髄根動脈が攣縮し(前記二4のとおり原告作二の場合は厚い肋膜ベンチが形成されていたから、付近の血管もその影響により循環障害を来たしやすい状態にあつた。)、脊髄の循環障害を来たしたこと、(四) 蓋然性は最も低いが、本件手術における気管支瘻部の縫合閉鎖(前記二4)の際に肺静脈内に血栓が生じ、これが血流によつて移動し、大動脈、肋間動脈を経て重要な脊髄根動脈の栓塞を惹起したため、脊髄が循環障害を来たしたこと、以上のような各種の原因がその蓋然性の高低は別にして一応疑わしいものとして考えられる。したがつてこれらが単独に、または複雑に組合わされて本件麻痺が招来されたものと推認する以外にない。

なお、原告らは、脊髄根動脈が直接損傷され又は結紮されたことをも原因として主張する。しかし、前記二4のとおり、本件手術において右側第二ないし第七肋骨は胸椎横突起の先端と並ぶ断面ないしこれから0.5ないし1センチメートルほど脊椎に近い部分で切除されたものであり、しかも、脊椎に近い側の縦隔肋膜ベンチは切除されなかつたのである。そして、証人寺松孝の証言、被告堀米寛本人尋問の結果、鑑定人寺松孝の鑑定結果及び当裁判所の検証結果によれば、右のように肋骨が切除された場合、肋間動脈から脊髄根動脈が分枝する部分と右切断部位との距離は通常二ないし三センチメートルであり、この距離は特に重要な脊椎付近で手術操作を行なう外科医にとつては極めて大きいものであるから、手術操作が無意識に脊髄根動脈に達するようなことはほとんど考えられないこと、原告作二の場合、前記二3のとおり膿胸の症状があり胸膜が癒着しているから、これを相当強い力で剥離しなければ、脊髄根動脈には達し得ないことが認められる。そのうえ、<証拠>によれば、数本存する脊髄根動脈のうち最も太く、脊髄の栄養にとつても最も重要な大脊髄根動脈(アダム・キーヴイツツの動脈)は、六〇ないし八〇パーセントの人間が左腹部に有することが認められるから、前記二のとおり右胸部の手術を受けた原告作二の場合は大脊髄根動脈に手術操作が及び可能性は小さいというべきである。以上のところからすると、本件手術中に脊髄根動脈が損傷され又は結紮されたとの事実はこれを認めるに足りないというしかない。<証拠判断略>

四次に、被告医師らの過失の有無を検討する。

1  ところで、原告らは、被告医師らが大病院の医師であるから高水準の医療をなすべき旨主張する。

そして、前記二2ないし4のとおり、原告作二は鈴木病院に入院していたが、病状の回復がみられないため虎の門病院に転院し、呼吸器科から胸部外科に転科して同科部長である被告松下医師をはじめとする医師らによつて本件手術を受けたという経過がある。また、虎の門病院が我が国有数の高度の診療を行なう病院であることは、弁論の全趣旨により明らかである。したがつて、右事実からすると、被告医師らに対しては右事実に相応する程度の、本件手術当時の一般の医療水準より高度の診療上の注意義務を課するのが相当である。

2  まず、前記三(一)の循環不全及び血圧低下につき検討するに、前記二4のとおり本件手術は原告作二の右背部から右側胸部にかけて切開し、右側の第二ないし第七肋骨を切除し、胸腔から合成樹脂球を摘出し、胸壁肋膜ベンチを切除し、気管支瘻部を縫合するという大手術である。そして、<証拠>によれば、右程度の外科手術においては四一三五グラム程度の出血はやむを得ないところであり、また、右出血に対しては前記二4のとおり合計四六〇〇CCの輸血が適切になされ、本件手術中の原告作二の血圧も最高血圧が概ね一〇〇ミリメートル水銀以上に保たれていたのである。次に、本件手術後の血圧低下については、<証拠>によれば、本件手術のように多量の出血が避けられない場合には原告作二の身体全般につき循環不全の状態及び一過性の血圧低下も避けられないのであり、また、本件手術後の血圧低下に対する措置についても、前記二4のとおり王医師らが原告作二の気管内に貯留した分泌物の吸引、加圧呼吸等の措置を適切に執つたのである。

右のとおりであるから、前記1の高度の診療上の注意義務を基準として検討しても、前記原因に関し被告医師らにこの点についての過失は認められない。

3  次に前記三(二)の肋間動脈の損傷又は結紮及び同(三)の重要な脊髄根動脈の攣縮について検討する。

<証拠>を総合すると、胸郭成形術等の手術において肋間動脈の損傷は往々にして起きることであり、したがつてまた、損傷されれ肋間動脈を結紮することもしばしば行なわれていたのであつて、本件手術当時発行されていた胸郭成形術に関する文献においても肋間動脈の損傷及び結紮について脊髄の循環障害を来たすので注意すべき旨の記載は存しなかつたこと、したがつて、少くとも本件手術当時においては、胸郭成形術等を行なう胸部外科専門の医師の間に、単に右胸部の肋間動脈を損傷又は結紮することが脊髄の循環障害を来たす可能性がある旨の認識はおよそ期待し得ないこと、また、本件手術の何等かの操作が交感神経を緊張させ、このため脊髄根動脈が攣縮し脊髄の循環障害を来たす可能性があるという認識についても本件手術当時の外科医師に対し期待し得ないし、交感神経の緊張を避けるのも困難であることが認められる。<証拠判断略>

右のとおりであるから、前記各原因に関しては、前記1の高度の診療上の注意義務を基準として検討しても、被告医師らに過失は認められない。

4  次に、前記三(四)の気管支瘻部の縫合の際に生じた血栓による脊髄根動脈の栓塞について、被告医師らの過失を検討する。

原告作二の気管支瘻を縫合閉鎖することは、前記二34のとおり喀痰・咳・発熱という同原告の症状を治療するため当然に必要な処置であつた。そして、<証拠>によれば、右縫合の際に多少とも血管の損傷や血液の凝固が起きることは避けられないこと、気管支瘻部の縫合の際に生じた血栓が大動脈を経て脊髄根動脈を閉塞し脊髄の循環障害を来たす可能性があるという認識は、右因果関係が現在の医学からみても極めて蓋然性が低いとされること(前記三)からも明らかなように、本件手術当時の胸部外科専門の医師に対しおよそ期待し得ないことが認められる。

したがつて、前記原因については、前記1の高度の診療上の注意義務を基準にして検討しても、被告医師らの過失は認められない。

五右四項に判断したとおり被告医師らに過失は存しないというほかはないから、原告らの被告医師らに対する請求及び被告連合会に対する使用者責任に基づく請求は、いずれもその余の点につき判断するまでもなく理由がない。そして、被告連合会に対する債務不履行責任に基づく請求についても、前記二、四のとおり同被告の履行補助者である被告医師らが善良な管理者の注意義務を尽くして原告作二の診療に当つたことが認められるから、債務の内容につき法律的検討を加えるまでもなく右請求も理由がない。<以下、省略>

(麻上正信 板垣範之 小林孝一)

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